乗り越える

時に人は言う。「見たまえ、私が克服したものを。今の私のほがらかさを。暗いできごとを征服したこの見事さを」と。しかし、克服したという暗いできごとをその人が思い起こさせるようではまだ征服はしていない。本当の征服とは、その不幸なできごとを薄れさせ、消えるにまかせることだ。前進し続ける壮大な歴史においては、早朝の雲のように取るに足らないものとして。
― エマソン「円」
a0276895_13312894.jpg
People say sometimes, 'See what I have overcome; see how cheerful I am; see how completely I have triumphed over these black events.' Not if they still remind me of the black event. True conquest is the causing the calamity to fade and disappear as an early cloud of insignificant result in a history so large and advancing. 
-- R. W. Emerson, "Circle"

乗り越えてきたものを自慢気に振りかざしているようでは本当には乗り越えていない、ということなのだろう。心がそのことに引っかかっている限りは、まだ虜になっている。既に過ぎ去ってないものをもう一度引っ張り出して格闘しているようなものなのかもしれない。

そうは言っても、知らない内に引っかかっちゃうんだなぁ、これが!(笑)

a0276895_17315874.jpg








  
 179.png 思えば遠くへ来たもんだ!



[PR]
# by kayangarden | 2017-05-28 17:40 | Trackback | Comments(2)

一番許せないのは・・・

リディアンは言う。人が決して許すことのできない唯一の罪は、相手が自分とは異なる意見を持っていることだと。       ― エマソンの日記から

Lidian says that the only sin which people never forgive in each other is a difference of opinion.          -- From Emerson's Journal

a0276895_10414557.jpg許せない!とまではいかなくとも、相手に対して何となく批判めいた気持ちを抱いてしまうのは、「あの人、どこか考え方が違うのよねぇ」という時かもしれない。

単なる意見の相違がいつの間にか善悪にすり替えられる。そして、「こちら」が「正論」になり、相手を許せなくなる。

どうしてそれほどまでに自分が正しいと思ってしまうのだろう。いつも「マイ物差し」を携帯していて、無意識のうちにそれで人を測っている。いっけねぇ!(リディアンはエマソンの奥さん)
179.pngまずはひとやすみ。ね! by さくら






[PR]
# by kayangarden | 2017-05-27 11:34 | Trackback | Comments(0)

失敗の原因は・・・

私の失敗すべての原因は、自分の考えを見捨てて、他人の見方でものごとを捉えようとすることにある。          ― エマソンの日記より
a0276895_23204568.jpg
All the mistakes I make arise from forsaking my own station and trying to see the object from another person's point of view.
-- From Emerson's Journal

自分と同じ意見の人がいると安心する。でも危ないのは、自分の意見を持つより先に人の意見を見聞きして、自分の意見と思い込んでしまうことかもしれない。



[PR]
# by kayangarden | 2017-05-04 23:43 | Trackback | Comments(0)

自分の目で

a0276895_09525460.jpg

今の私たちは過去を振り返ってばかりいる。父祖たちの墓を建て、伝記や歴史、批評を書く。そうした前の世代の人々は、神と自然とに直接向き合った。自分の目を通して。なぜ私たちもまた、宇宙と、自分ならではの結びつきを得ようとしないのだろうか。
―エマソン『自然』



Our age is retrospective. It builds the sepulchres of the fathers. It writes biographies, histories, and criticism. The foregoing generations beheld God and nature face to face; we, through theiru eyes. Why should not we also enjoy an original relation to the universe?
--Emerson, Nature


この本が発表されたのは1800年代前半。1776年にアメリカの独立宣言がなされてから半世紀近く経って、国を築いた父祖たちの足跡をたどろうと、歴史協会のようなものが各地にさかんに設立された時代だ。

しかし、現代の日本を生きる私たちにも鋭く響く言葉ではないだろうか。世界中の人々の意見が何のフィルターもなく押し寄せる毎日に、自分の足で立ち、自分の目で見る覚悟をしていなければ、いともたやすく押し流される。押し流されていることに気づきもしないで。

自分の感じたことを素直に表現しているだろうか。知らずのうちにどこかのだれか、あるいは何かに照らし合わせて、自分だけではないという安心を得ようとしていないだろうか。顔色をうかがってはいないだろうか。日頃、それをやり過ぎている自分に対して、あえて強く問うてみたい。



[PR]
# by kayangarden | 2017-04-23 10:27 | Trackback | Comments(0)

草の上の書斎

自分の調度品すべてが草の上にあるのを見ることは心地よかった。遊牧民の荷物のような小さな山ができ、本やペンやインク壺を載せたままの三本脚のテーブルは、松やヒッコリーの木立の中に立っていた。そうしたものはみな外に出たことを喜び、中に戻されるのを嫌がっているように思えた。     
― ソロー『ウォールデン』
a0276895_20113841.jpg
It was pleasant to see my whole household effects out on the grass, making a little pile like a gypsy's pack, and my three-legged table, from which I did not remove books and pen and ink standing amid the pines and hickories. They seemed glad to get out themselves, and as if unwilling to be brought in.
-- H.D. Thoreau, Walden

ソローがウォールデン湖畔に自分で小さな小屋を建て、そこに2年あまり自給自足の生活をした時の話だ。部屋が汚れると早朝早くに椅子やテーブル、ベッドなど部屋にある調度品すべてを戸外に出して床に水をまき、さらに湖からとって来た白い砂をまいてほうきでゴシゴシとこする。そうすると、村人が朝食につく時分までには朝日がすっかり床をかわかしてくれて、いつも通り、朝の瞑想に入れるとある。

小さい頃、天気が良いと母はいつも実家の1階の屋根に布団を平らに干していた。私は2階の窓からそーっと屋根に降り、熱いくらいにホカホカに温まった布団の上に寝転んでいた。仰向けに寝ていると直射日光は目をつぶっていてもまぶしいくらい。家の中で見慣れたものが屋外に置かれた時、その場所が急に自分に親しい場所に変わる気がする。

温かいうちにと、母が2時ぐらいに布団を一斉に取り込む。すると屋根は元の屋根に戻り、急によそよそしい空気をまとった。それを見る度にどこか寂しい気がしていた。お花見の時も同じような感覚になる。敷物をしいてひとしきりみんなでにぎやかにした後、帰る段になって片付けをし、最後に敷物をしまうと、それまで自分たちと一緒に華やいでいた場所が急に周囲の風景に戻っていく。

ソローの家具も外に出た途端、あたりを持ち主に親しい場所に変えただろう。早朝の松やヒッコリーの木漏れ日の中で、部屋にある時よりも持ち主の目に生き生きと写ったかもしれない。ひとたび部屋に戻されてしまえば内と外とがきっぱり分かれてしまうことを知っていて、それを惜しんでいるかのように。

178.png Bouquet of Thanks  さくらさく

a0276895_23533209.jpg大変、大変ご無沙汰して申し訳ありません。このブログもやっと新年度スタートです!
この間、息子は小学校を卒業して中学生になり、1年前、両手のひらにのるぐらいの小ささでやってきた柴犬のサクラも、すっかり成犬になりました。

サクラと一緒に桜満開の公園に行ってみました。いつもと違う様子を感じたかどうかはわかりませんが、風が舞い散らす花びらを嬉しそうに追いかけていました。

a0276895_21370888.jpg私はと言えば、息子のお弁当作りに5時半前に起きるようになり、食事の後に船をこぐ日が増えました。

ソローのような生活に憧れるものの、ひとたび部屋を見渡せば、あふれるモノ、モノ、モノ。お掃除ロボットが一昨年の年末にやってきましたが、稼働させるためには部屋を片付けなくては!と言いながら、ルンバはまだ箱の中でじっと出番を待っています。
仕事の書類はテーブルに小山をいくつも作っているし・・・

やるべきことは依然山積み。でも、サクラのように目の前のものを喜ぶ瞬間を少しでも多く持ちたいものです。






[PR]
# by kayangarden | 2017-04-22 16:44 | Trackback | Comments(0)