音と雑音

子どもはブリキの鍋やその他、音を立てるものを棒でたたくのが大好きだ。なぜなら、その音にこの上なく素晴らしい音楽を聞き取っているから。澄んだ、偏見のない耳には、ガランガランと鳴るカウベルの音も、最高に心地良い、うきうきするようなメロディーとして響く。…子どもにとっては音そのものの中に音楽がある。                       ― ソロー
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A child loves to strike on a tin pan or other ringing vessel with a stick, because...it detects the finest music in the sound.... So clear and unprejudiced ears hear the sweetest and most soul-stirring melody in tinkling of cowbells.... To it there is music in sound alone.
-- H. D. Thoreau

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音は本当に不思議なものだ。ある人にとっては心地よい音が、ある人にとっては耳障りな雑音になる。同じ人にとってさえ、それを聞く時の心境で受け取り方が大きく変わることもある。時代によっても変わるだろう。

文化の違いでも受け取り方が違うという話を聞いたことがある。日本人は虫の鳴き声を音楽と同じ右脳で聞くのに対して、西欧人は左脳で雑音として受け取るとか。

ある音を雑音として受け取るかどうかは、生まれつき決まっているわけではないのだろう。生活の中で周囲の大人たちの話を聞きながら、知らずの内に同じように音を判断する耳を育てているのかもしれない。その価値判断をソローは「偏見」と言い、そこにあるはずの音楽を聴きとれないことを嘆いているのかもしれない。

a0276895_16302597.jpg最近テレビで「野うさぎ」という言葉を聞いた夫が、「何でうさぎだけ野うさぎで、野良うさぎじゃないんだろう?ずるいよねぇ」と言っていた。確かに、野良猫、野良犬と言うのに、野良うさぎとは決して言わない。英語ではどちらも"wild"が使えるのだろうが。「野良」そのものにはマイナスの意味はないのに、野良犬、野良猫というと、どこか粗暴で危険な存在、というイメージを抱きやすい。

雑草という言葉もそう。ある男性がお子さんが3歳ぐらいの時に一緒に散歩をしていたら、「あ、雑草だ」と言うのでびっくりして、「誰があれは雑草って教えたの?」と聞くと、「ママ」と答えたというエピソードを笑い話のように話してくれたことがあった。

「雑」とつけられた途端に、音でも植物でも顔を失い、個性がなくなってしまう。それについてもっと知りたいという気持ちにもストップがかかる。「雑」のみならず、子どもに投げかけている言葉の中にもたくさんの価値判断が入っている。ソローが憧れる子どもの感性は、そうした大人の価値観とは無縁のものだ。




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# by kayangarden | 2018-02-10 17:46 | Trackback | Comments(0)

独創的に読む

質の高い読書をするには、みずから考え出す人でなくてはならない。…独創的に書くことと同じように、独創的な読みというものがある。
― エマソン「アメリカの学者」
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One must be an inventor to read well. ... There is then creative reading as well as creative writing.
-- R. W. Emerson, "American Scholar"

独創的に読むというと、それでは著者の意図が伝わらないではないか、と反論する人もいるだろう。しかし多分、独創的な読むことは好き勝手に読むこととは異なる。

エマソンは、書き手が名の知れた人であればあるほど、読み手がその人の考えをなぞることに一所懸命になり過ぎて、自分の考えを持たなくなることを危惧した。そして、著者の意図を汲むことよりも、自分がどう感じたかを大切にしろと言う。本をただ何かを読み手に伝える媒体としてではなく、読むことをきっかけに読者に変化を起こさせる触媒のようなものであるべきだと考えていたようだ。

だから、学生たちがあまりに真面目に従順に読書をすることに釘を刺した。同じ本を読んでも、みんなが同じ方向を向く必要はない。それを読んで君はどう感じた?君はどう思う?と。

先日、「広辞苑大学」というイベントで尾木ママこと尾木直樹先生のお話を伺う機会があった。言葉と教育について様々なお話をされたが、その中で、読み聞かせについても触れられた。プロが吹き込んだ上手な読み上げをアプリなどを通して聞かせるよりも、生の声で読んであげることが大切というお話だったが、その理由に得心がいった。

a0276895_14360917.jpgまずは、子どもの「どうして?」が受け止められるということだった。確かに子どもは一つの場面にたった1~2行の言葉しかなくても、たくさんの「どうして?」を投げかける。さらに描いてある絵のあらゆる部分にも目が行って、読んでいるこちらがびっくりするほど、時にうんざりするほどたくさんの疑問とたくさんの感情が生まれる。まさに創造的な読みを実践しているのだ。

「一番大切なのはね…」と、尾木ママは続けた。「読み聞かせは親を育てるんです」
読み聞かせをすることで、親の側の共感能力を高めて、子どもを理解する力が伸びるのだ     
  お気に入りのひとつ     そうだ。

「これは何て言ってる?こっちのは何て?」 息子に読み聞かせをしていた頃、実際には何もセリフのない登場人物や乗り物すべてに会話を求められることがよくあった。それも繰り返し、繰り返し。子どもの喜びそうな会話を即座に考え出さねばならず、ずい分鍛えられた気がする。自分の想像力の薄っぺらさを嘆きもしたが、子どもはさほど内容にこだわりはなく、取りあえず答えてもらえば満足しているようだった。たまに心を捉えるような言葉が偶然出ると、息子はくすぐったそうに笑っていた。私には何よりのご褒美だった。
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息子のお気に入りのページ。すべての乗り物に会話を求めた。このページが見たくて自分で何度もめくったから、ビリビリ、しわくちゃ

親は子どものために、何か教育の一環のような気持ちで読み聞かせをしているかもしれない。でも、実は子どもとのやり取りを通して、親は知らずの内にすっかり子どもの視線とペースに巻き込まれ、いつの間にか忘れてしまった豊かな感情や、やわらかな考え方を取り戻していくのかもしれない。



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# by kayangarden | 2018-02-02 13:19 | Trackback | Comments(0)

トムは真夜中の庭で

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昨秋、バラを見に友人と横浜イングリッシュガーデンへ行った。そこでこの風景を見た時、不意に『トムは真夜中の庭で』を思い出した。

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主人公のトムは家の事情で夏休みの間、おばさんの家に預けられる。邸宅のホールに据え付けられている古い大時計が夜中、13回鳴ったのを合図に裏口を開けると、昼間はなかった大きな庭園が現れて・・・。

息子が小学1年生の時、寝る前にこの本を読み聞かせ始めた。ところが読み始めて5分と経たない内に子どもは寝息を立てている。最初の数日は「昨日読んだの、どこまで覚えてる?」などと行きつ戻りつしながら読んでいた。話の不思議さゆえに、読む前に「あれはどういうことかな?」「どうなるんだと思う?」と、お互いに確認したり推理したりしながら少しずつ、少しずつ。ところが、物語が進むにつれてこちらの方が夢中になってしまった。そしてある日、子どもが学校に行っている間に、ついに一気に読み進めてしまった。

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黙っていようと思った。だが、物語のあまりに意外な展開に、帰宅した息子につい、「ねぇ、どうなったと思う?」と、ほんのちょっぴり自慢気に口走ってしまった。息子が「え?読んだの?」と、とっさに表情を固くした。「すごく知りたくなっちゃって・・・でも、ほんのちょっとだけだよ・・・」そんな言い訳を聞き終わるか終わらないかの内に、息子の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ひどいよ。どうして先に読んじゃったの?一緒にドキドキしたかったのに!」

もう読み聞かせの抜け駆けは二度としないと誓った。母親失格と思った。(これは何度も思うのだが・・・)

最後まで読み終わって、ずい分、多分2年近く経った時、もう一度二人で読み直した。忘れてしまっていることも、新たな発見も多く、これまたワクワクしながら読んだ。

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そんな思い出たっぷりの『トムは真夜中の庭で』は、イギリスの児童文学作家であるフィリパ・ピアス女史が1958年に発表した物語で、日本では高杉一郎氏による翻訳で岩波書店から1967年に初めて出されたらしい。

この本を知ったのは、心理学者・河合隼雄さんの講演会でだった。息子が生まれる前のことだ。河合さんは、文学作品の中で「庭」は現実と空想の世界を結ぶとても大切な役割を果たしていること、「庭」に出る回数が多いほど人生が豊になることなどをユーモアたっぷりにお話された。そして、「庭」がテーマの素晴らしい作品として、この本を紹介なさった。子ども時代に絶対に読むべき本のひとつともおっしゃっていた。

講演会後、すぐに購入したが、なかなか読むきっかけが持てず、ずっと本棚に置いてあった。そして購入からおそらく10年近く経って、親子で夢中になった。

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中学生になった息子がつい先日、「今、本読んでもらっても結構楽しいかもしれないなぁ」と、言う。びっくりしてニキビの出始めた顔を見返すと、「また読んでもらおっかなぁ」と、ふざけているような、はにかんでいるようなニンマリ顔。

何があったのだろう。学校で「親を大切にしなさい」みたいな話を聞いて、私を喜ばせようとしたのか。口ごたえしない犬のサクラばかりを相手に話している私に不満を抱いたのか。それとも、ふと小さい頃を懐かしく思い出したのか。

いずれにしても、「一緒にドキドキしたかったのに!」の時間が、一瞬蘇った気がして嬉しかった。

選ぶとしたら、やはり『トムは真夜中の庭で』が良い。実際に息子に読み聞かせることは多分ないだろう。それでも、子ども向けにしてはずっしりと重いハードカバーを食卓に置いてみて、ほんの少しワクワクしている。






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# by kayangarden | 2018-01-28 16:58 | Trackback | Comments(2)

キックキックトントン(2)

キック、キック、トントン。キック、キック、トントン。キック、キック、キック、キック、トントントン。         ―宮沢賢治「雪渡り」

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浜でも4年振りの大雪。降り積もった雪を見ると、このフレーズが頭に浮かぶ。実は2014年1月にも同じ言葉を取り上げて書いている。

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4年前には雪でシロクマを作った(2014年2月に載ってます)が、今回は戌年だし、飼い犬のサクラに因んでイヌにしてみた。

目と鼻は種類の違うドングリの帽子。雪の降った2日後の夕方に思い立って作ったので、雪がぎゅっと締まってなかなか思うように形を作れなかったが、通りがかりの人がクスッと笑って「上手に作れましたね」と、言ってくれたので、それで満足。

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雪像を作り、日もとっぷり暮れて部屋に戻ってみると、サクラはふかふかのベッドで丸くなっていた。

・・・林の中には月の光が青い棒を何本も斜めに投げ込んだやうに射して居りました・・・

幻燈会を開いている子ぎつねたちの歌声が聞こえてくるような、静かな静かな…冬の夜。

キック、キック、キック、キック、トントントン。









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# by kayangarden | 2018-01-27 23:54 | Trackback | Comments(0)

Merry Christmas!

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Merry Christmas!

a0276895_17321875.jpgクリスマスの華やかさの中で、早目に据えられた門松が少し居心地悪そうにしているのも今日まで。
今夜、街では夜を徹してツリーが取り外され、一斉にお正月用の飾りつけが施されるのでしょう。

サンタクロースは来ましたか。
クリスマスが終わってしまうのは寂しいけれど、もうすぐサンタさんと同じように大きな袋を背負った大黒様が、宝船に乗ってやってきますね!












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# by kayangarden | 2017-12-25 18:14 | Trackback | Comments(1)